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鑁阿寺本堂はなぜ国宝になったのか ~鑁阿寺本堂国宝指定記念シンポジウム~
去る8月31日(土)、足利市民会館別館ホールで鑁阿寺本堂国宝指定記念シンポジウム「鑁阿寺本堂を考える!」 が開催されました。
当初足利商工会議所で行われるはずだった当イベントは、事前申し込み殺到により急遽足利市民会館別館ホールで開催されることになったという経緯からも、足利市民の注目度の高さがうかがえます。
弊誌を発行するNPO法人コミュニケーション・ラボはこのイベントを足利テレビとして動画で撮影、公開しました。この記事では足利市民に「大日様」として呼ばれ、小さい頃から初詣や七五三などで馴染みのある鑁阿寺がなぜ今になって国宝になったのか、当日基調講演を行った東京芸術大学大学院 上野勝久氏のお話を掲載するかたちでご紹介します。
鑁阿寺本堂を国宝として評価した理由
「鑁阿寺本堂は、足利氏の居館跡に建てられた中世の密教本堂で、鎌倉時代最新の建築様式である禅宗様をいち早く導入した。後の宗教建築の構造と意匠に大きく影響を与えた禅宗様の受容と様相を示し、極めて価値が高い。また様式の選択には明確な意図が認められ、我が国における外来新技術の受容のあり方を示しており、文化史的に深い意義を有している」(文化庁)
なぜ今になって国宝になったのか
今までに大きな修造があり、どこからがどの年代なのかはっきりしてなかった
鎌倉時代後期と室町時代中期の部材が全体や細部においてどのような範囲で区別できるのか、平成の大修理の際に炭素年代測定法(資料では炭素14)を用いることで今回判明した。
科学的調査によって分かったこと
- 全体の規模、禅宗様の形式は鎌倉時代後期(正安元年 1299年)のもの
- 応永の大修理(室町中期 1407年~1432年)は本瓦葺屋根と軸組強化を行った
鑁阿寺本堂の特質
- 鎌倉後期の段階で禅宗様を取り入れたのが鑁阿寺本堂
- 頂部に粽(ちまき)を付けた柱と貫で固めて台輪を廻した軸部
- 側廻りの尾垂木持ち送り式組物と内外とも詰組とした配置
- 頭貫木鼻や拳鼻に施された絵洋繰形
- 外陣の虹梁大瓶東架構が特徴で、高大で高揚感のある内部空間を達成
国宝の評価
- 軸組から架構まで禅宗様とした鎌倉時代唯一かつ先駆の本堂
- 建築史上、禅宗様を搾取した東日本で最も古い中世本堂
- 文化史的において、外来新技術の受容のあり方を示す意義
基調講演の動画
(参考文献・引用:東京芸術大学大学院 上野勝久氏 発表スライド、シンポジウム資料集)
※この記事に掲載されている情報は取材当時(2013/12/05)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。
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山田 雅俊
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