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石井 琢朗さんインタビュー 高校野球 100年ものがたり 足利の野球のこと
今回は高校野球100年を記念して、足利市にゆかりのあるプロ野球関係者に取材を行いました。
二人目は、第69回大会に県立足利工業の2年生エースとして甲子園に出場なさった広島東洋カープ一軍守備・走塁コーチ石井琢朗さんです。大事な試合前のお時間でインタビューに応じていただきました。
—甲子園に出場した時はどんな感じでしたか?
緊張したというよりは、うれしかったです。まさに夢舞台でしたよ。練習日や開会式では緊張しましたけどね。(笑)
僕たちの試合は確か6日目か7日目だったので、時間があり他校のゲームをTVで観戦する余裕が結構ありました。だから、とにかく早く試合がしたかったですね。更に、試合が第4試合だったので待ちくたびれた感があったんです。
そのせいか緊張というよりも、やっと試合ができるというアドレナリンが出ていました。
—実際の試合ではどんな感じでしたか?
野球人生でも最も充実し、いいアドレナリンが出ていたので、高校時代を通して一番速い球を投げられたと思います。(笑)
ボールに指が引っかかる感じがあり、今日はちょっと速いなと感じながらピッチングをしていましたね。
—高校時代の練習はどうでしたか?
とにかくキツかったです。プロの練習の方が楽なんじゃないかと思うほどでしたね。(笑)
練習以外にも上下関係が厳しかったことも忘れられません。
—最近は夏の大会に足利勢の出場がありませんよね。
僕らの時代は県南が強かったのですが、今は県央に移っているようですね。
足利近郊の中学生は私立よりも県立高校へ進む傾向にありましたが、昨今は私立や県外へも良い選手が進学していますね。
—石井さんの時代はどうでしたか?
当時僕は、仲間たちと「足工(足利工業)へ行こうぜ」と話していました。でも、結局、佐野日大や葛生(現在の青藍泰斗)など別々の学校に進学したんですよ。
あのメンバーがどこか一校に集まっていたらすごいチームができていたと思うと、残念でしたね。
—足利の野球についてどう思いますか?
足利だけではありませんが、昨今野球教室などが盛んに行われるようになりました。これはいい事ですよね。同時に指導者のための教育も必要だと感じています。
—子供たちに伝えたい事はありますか?
僕は父親が監督をしていたので、結構厳しく指導されましたが、つらいとは思いませんでした。野球が好きでしたからね。
知識を詰め込むことよりも、体を動かしながら野球の楽しさを知り、徐々に段階を踏んでいったほうが今の子供達には、いいのではないでしょうか。野球がつまらなくなってしまったら、そこで終わりですからね。のびのびと野球をする環境が必要だと思います。
—最後に今年の抱負はありますか?
チームについては、いかに勝てるかということが大事だと思います。
幸い、現在いい位置にいるので、上位に食い込みたいですね。
実際にプレーするのは選手ですが、コーチとして選手達のモチベーションをいかにいい方向に持っていけるか、日々模索しています。
石井コーチ、今日は試合前の貴重な時間を頂きありがとうございました。
最後に、
石井コーチ、広島東洋カープ球団関係者の皆様、本当にありがとうございました。
野球の楽しさを多くの人に知ってもらい、子供だけでなく大人も野球を楽しめる環境づくりに一緒に取り組んで行きましょう。
<千葉ロッテマリーンズで選手会長を務める岡田幸文選手インタビューはこちらから>
※この記事に掲載されている情報は取材当時(2015/08/21)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。
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早川 雅裕
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