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手の神社?そんな神社が足利にあるの?足利日赤近くの大手神社
足利市五十部町にある足利赤十字病院の近くに、「手の病一切と学芸上達 大手神社」という大きな看板があります。友人知人に知っているか聞いてみると、「看板は見たことがあるけれど、行ったことがない。」「前から気になっていたけれど、よく知らない。」「手の神社?そんな神社が足利にあるの?」という反応でした。
大きな目立つ看板が立っているのに、あまり知られていないこの神社が気になり、調べてみました。
大手神社は、足利赤十字病院から見て県道67号線(桐生岩舟線、旧国道50号)を隔てた北側にあります。足利市街から桐生方面へ向かうと、進行方向右手にに大きな看板があります。看板を過ぎたらT字路を右へ曲がり進むと案内看板があります。数台分ですが、駐車場があります。
大きな看板の割には、小さな神社だなというのが第一印象だと思います。
境内はあまり広くありませんが、きれいに整備されていて、とても静かです。拝殿の右側手前には絵馬が沢山飾られています。
神様が二人いる神社?
この神社の祭神は、天の岩戸開きの神話で有名な天手力男命(あめのたじからおのみこと)です。その故事から人々は人間の神として尊信して、手の力、手の技術向上の神様としてお参りする人が多いのだそうです。
ところが、いつの頃からか、祭神は平将門(たいらのまさかど)であるといわれるようになりました。天慶の乱(てんぎょうのらん、939年~940年)で、平将門が藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に討ち取られた時、五体がバラバラになって各地に墜落し、落ちてきた平将門の手を祀ったのが大手神社だといわれているからです。
なぜ祭神だといわれる人が2人いるのでしょう。郷土三重見聞録によると、平将門は庶民のために朝廷に謀反を起こした武士であったので、庶民は自分たちのために殺されたと考え、大手神社に祀ったが、朝廷の目を誤魔化すために平将門を祭神とせず、天手力男命を表面的な祭神としたのだと考えられているのだそうです。
足利市には大手神社の他にも、足が埋まっているという伝説がある樺崎町の「子の権現」、また、腹が降ってきたという伝説がある大前町の「大原神社」があります。足利市は室町幕府を作った足利氏発祥の地ですが、平氏である平将門の伝説がいくつもあるなんて不思議だと思いました。
大手神社の絵馬は近所の床屋さんで買える
この神社は手の神様なので、皮膚炎・腱鞘炎など手の病気や、手=筆の上達・手芸の上達にご利益があるとされています。そして、願い事が叶ったらお礼として「手形」の絵馬を納めることになっているのだそうです。
絵馬は近くの理容店で、1枚500円で販売されています。2種類あり、どちらも手が描かれています。
境内に奉納されている絵馬には、「手首の痛みが取れますように」「ばね指が治りますように」などの病気に関する願い事の他に「字が上手になりますように」「ピアノが上達しますように」という願い事もありました。
自分だけではなく、手を怪我したアイドルの回復を願い、「早く○○ちゃんの怪我が治りますように」というものもありました。(取材・記事執筆 ひよこママ)
『参考資料』
- 郷土三重見聞録(三重小百十周年を記念して) 足利市立三重小学校
- 足利の伝説 台一雄
- 足利市の公式サイト
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikaga-kankou/i-ote.html
※この記事に掲載されている情報は取材当時(2016/02/22)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。
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